「古くて新しい病気」といわれている結核。かつて「不治の病」として恐れられていたこの病気は、現在では治癒が可能でありながら、世界中で年間1000万人が発症し100万人以上が亡くなる脅威であり続ける。原因となる結核菌は、数種類の薬を使用して長期間治療しないと消し去ることができない。空気感染しやすく、取り扱いが難しい。変異すれば、既存の抗結核薬に耐性をもつ菌が拡大していく。抗結核薬の開発は非常に困難なものであるのだ。
1971年に始まった大塚製薬の創薬研究。そのテーマのひとつが感染症であり、そこに結核が含まれていた。じつはこの1970年代前半は世界中の製薬会社が抗結核薬の開発を止めた時期である。理由は、新薬の登場。これにより各社は、研究対象を結核ではなく他の分野へと移行させていった。しかし、ひとつの新薬が開発されても、結核は重大な公衆衛生上の問題であり続けた。誰かが研究し続けなければ、人類は再び結核の脅威にさらされることとなる。結核の創薬研究をとめるな。そんな強い想いが、大塚の研究員たちの心の中にあった。
研究は困難を極めた。成果が見込めず、中断に追い込まれることもあった。しかし、それは「大塚にしかできない研究」であり「大塚だからできる研究」だという信念があった。研究者たちはあきらめることなく研究を続けた。“誰かが続けなければならない”数十年にわたる研究の結果、ようやく既存の抗結核薬への耐性菌にも効果を有し、強い抗結核活性をもつ物質にたどり着いた。
2014年、およそ40年ぶりの抗結核薬のひとつとして欧州と日本で承認される。日本国内では初めてとなる多剤耐性肺結核治療薬であり、2015年にはWHO(世界保健機関)の必須医薬品リストに加えられた。さらに、世界抗結核薬基金(GDF:Global Drug Facility)や海外の製薬会社とのパートナーシップで、結核蔓延国へのアクセスを拡大させ、現在では120以上の国・地域で使用が可能となった。しかし、発売したら終わりではない。結核治療では、不規則な服薬や中断によって、耐性菌が生まれてしまう可能性がある。それは治療法の選択肢を狭め、治癒を困難にする。大塚グループはパートナーや政府機関と共に、世界中で抗結核薬の適正使用も啓発している。
「古くて新しい病気」である結核との闘いはまだ終わらない。小児の多剤耐性肺結核の治療はより困難である。大塚グループは、この抗結核薬の小児向けの製剤も開発し、適応拡大を進めている。さらに、国際的なパートナーシップの枠組みに参加し、新たな作用を持つ抗結核薬の研究開発も始めている。人類を結核の脅威から守るために、‟誰かが続けなければならない”研究を、大塚グループが続けていく。