「汗の飲料はできないか」。ポカリスエットの開発は、そんな一言から始まった。当時の大塚製薬の徳島工場長、大塚明彦の言葉だ。汗をかいたらポカリスエットを飲む。今では当たり前の光景だが、1970年代の日本では「スポーツ時には水を飲むな」というのが常識であった。“汗の飲料”とはいったい何か。そもそも汗とは何なのか。その日から、開発を担当する研究員の奮闘の日々が始まった。
研究員は、まず社内資料を読みあさった。「輸液の大塚」として長年にわたって研究されてきた、人間の体液組成に関する資料だ。大学の医学部を訪れ、医師の助言も仰いだ。自らサウナで汗を流し、その成分を分析することもした。人間は汗をかくと、水分だけでなくナトリウムイオンやカリウムイオンなどの電解質まで失ってしまう。それらを補うことこそが“汗の飲料”の使命だと確信する。着目したのは、体液の浸透圧。この浸透圧に近づけるために、糖分を一般的なジュースの半分程度に抑え、ついに“汗の飲料”の試作品が完成した。
「おいしくない」。試作品はいとも簡単に却下された。電解質であるマグネシウムやカリウムには、味にえぐみがある。それをいかに抑えるか。研究員は、来る日も来る日も試作に明け暮れた。気がつけば、その数は1000種類以上にも及んでいた。その中で研究員が見いだしたのが、ある柑橘系果汁との組み合わせだった。そのふたつを混ぜるとえぐみが消えた。こうして、味の課題をクリアすることができたのだ。
1980年、ポカリスエット発売。当時の世の中の反応は、散々なものだった。まずい。薄い。売れっこない。営業担当の社員は、こんな言葉ばかり耳にした。しかし、社員たちには信念があった。人間は運動をしなくても、一日2.5リットルの水分を失う。汗をかけば、失う水分はさらに増える。健やかな毎日のためには、水分と電解質の補給が欠かせないはずだ。そして、そのことを説くために、野球場や陸上競技場、サウナや浴場など、汗をかくあらゆる場面で試飲と製品紹介をおこなった。こうして発売翌年には爆発的なヒットを記録、今日まで続くロングセラー製品へと成長していくこととなる。
現在では一般的にも知られるようになった「熱中症」。大塚製薬は1992年に日本体育協会(現 日本スポーツ協会)とともに、熱中症の概念と、その対策を伝える活動を開始。以後、スポーツ時のみならず、高齢者や子ども、働く人たちなど、年齢や環境に適した暑熱順化や水分・電解質補給などの熱中症対策について情報提供を続けている。さらに世界に目を向けると、そこには良質な水分を摂ることができずに不安を抱える人々がたくさんいる。大塚製薬は、現地の社員とともに、それぞれの国や地域の風土にあわせた水分・電解質補給を提案する活動を進めている。かつての社員たちが汗を流して完成させた「命の水」。これからもポカリスエットは世界の人々の健康をサポートし続けることだろう。